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『いつか どこかで』は、1991年に製作されたシンガーソングライター、小田和正の第1回映画監督作品。翌1992年2月に全国東宝系にてロードショー公開された。 == 解説 == 1990年、ソロとして初の全国ツアー〔『Far East Club Band K.Oda Tour 1990』(1990年5月31日~11月7日、全国40ヶ所56公演)〕終了後、ある音楽雑誌のインタビューで「今度、映画を作るよ」と宣言したことから始まる。小田の映画への憧れは、中学時代に見た『ティファニーで朝食を』の主題歌『ムーン・リバー』に感銘を受け、「いつかは自分もこんな素敵な仕事が出来たらいいな」と思ったことがきっかけとなり、オフコース時代から音楽と映像を融合させた表現には積極的に取り組んでおり、当時としては珍しい、楽曲のビデオクリップ制作などに注力していた。ソロになってからは第一生命のCMの企画、演出、出演の3役をこなしていた。桑田佳祐監督の『稲村ジェーン』に刺激された影響もあるらしい。 1991年、この年はシングル『ラブ・ストーリーは突然に』が250万枚を越える大ヒットを記録。そんな事情も相まって、この年の9月にクランクイン。ロケ地には北海道の豊頃町や、丹沢、神宮球場などが使われた。主要キャストには時任三郎、藤原礼実、宅麻伸を起用〔一部スポーツ紙の発表では時任のほかに田中美佐子、玉置浩二の名前が挙がっていた。〕。音楽も小田自身がこの作品のために書き下ろし、1992年1月にアルバム『sometime somewhere』として発売した。 1992年2月、全国東宝系でロードショー公開されたが、映画評論家の不評を買い、セールス的にも成功とはいえなかった。それから5年後の1997年、その苦い経験を元にした2作目の映画『緑の街』が製作された。 1997年1月、フジテレビにて再編集版(ディレクターズ・カット)が放送されたが、ここでは藤原が演じたヒロイン・冬子の声が吹き替えに変更されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いつか どこかで (映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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